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タランテラ! 2回目~踊らされているのは自分だ [観劇メモ]

踊らされているのは自分だ。

っていう歌詞が何度か出てきますね。

蜘蛛の毒で舞踏病になった人たち。蜘蛛に追いかけられて、踊るように逃げ惑う人たち。そうやって踊らせている蜘蛛もまた、誰かに踊らされている。踊り足りない、でももう踊れない。人間も蜘蛛も、なんてかわいそうで、愚かなんだろう。

そんなお話だということをやっと理解しました。だからこそ、アマゾンとヨーロッパを行ったり来たりしてせわしないんだね。極彩色で曲調が次々変わるんだね。あえて詰め込んで、踊り狂うせつなさを描いてるんだ。

でも、逃げ惑うずほ(我が家での壮一帆の愛称)がどんなに愚かしくても、踊りに命をすいとられて頬がやせこけたコムちゃん(朝海ひかる)がどんなに悲愴でも、オギー(荻田浩一)はそれを愛してるってことにも気が付いた。踊り、踊らせ、踊らされているこの世界の登場人物みんなを愛してる。だって、アマゾンや中詰の場面で、すごく肯定的なこと言ってるもの。

これって、劇場にいる私たちそのものかもしれない。湯水のようにお金を貢されている観客。観客を麻薬のように魅了している出演者。だけど、彼らもまた、何かに踊らされているだけなんだ。それはスタッフだって同じ。オギー自身もそう。だからこそ、「花は枯れ月は欠け」なんていう劇団批判かという歌詞がある。でも、そんな狂乱の世界にいる、愚かでかわいそうなみんなが愛おしい。

そして、トップスターは小さな蜘蛛に戻って、大階段を登って去っていく。踊り、踊らされて、身を削って、やっと今、この世界から外に出られるんだね。。。「小さな蜘蛛には手をふれないで」、プロローグとフィナーレで繰り返される歌詞にそんな意味を感じた。

オギー作品はおどろおどろしくて苦手な人もいるかもしれないけど、根底にはすごい愛が流れているって、いつも驚かされる。だからファンが多いんだ。そしてファンの熱気に怯えて、サインをねだられたら逃げてしまったというエピソードがあるオギー。ごめんね、小さな蜘蛛には手を触れないようにするからね。

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